約束の場所
ゆらゆらと揺れるものは何?
緑の隙間から射す光?
土の上に落ちた影?
それとも、思い出を燃やすあかい炎……?
「美紗」
後ろから名前を呼ばれて振り返った私は驚いて言葉が出なかった。
間違いなく私の名前は『美紗』だ。だけど。
「……ど」
何とか言葉を押し出す。「どちら様……ですか?」
そこに居た、同じ学年くらいの男の子に見覚えはなかった。
初対面であろう彼に、いきなり呼び捨てで呼び止められるのもシャクだけど、それよりもその男の子の持つ澄んだ空気に気を取られていた。
彼は問いには答えずにっこりと笑い、黒い表紙の小冊子を私に向けて差し出した。おどおどしながら受け取ったそれを良く見て、思わず声を上げた。
「なにこれ?」
表紙の黒さは、焦げたあとだった。
焦げた本? 私こんなの知らない。手元から顔を上げてそう言うより先に彼は一言、それは穏やかな陽だまりのような微笑みで言葉をつむいだ。
「きれいな名前だね」
次の瞬間、私の脳裏にふと蘇った光景に思わず膝の力が抜け、そのままアスファルトに膝をついた。
その拍子に、本の間からはらりと紙が落ちた。写真だった。そこには数年前の自分が鮮やかな緑の木立の前で笑っていた。
「――!」
思わず息を呑んだ。
知らず知らずのうちに、あの光景を思い出さなくなっていた。
『それ』が『思い出』になる事は変わらないし、変えられない事実だとしても、「思い出さなくなる」ことはないと思っていた。なのに――。
「ごめんなさい」
他に言葉が見つからなかった。彼は何も言わず、ただ微笑んでいた。
思考の中をあの思い出が静かに流れていく。
私には大好きな人が居た。とてもとても。
けれどその人は、ある事で心に傷を負い、とても辛くなってしまった。生きていることが苦しいと、私に打ち明けてくれた。当時の私には理解できなかったけれど。
そして、一緒に公園の隅でその人の大切だった物を燃やした。バケツいっぱい水を汲み、マッチに火をつけ、その人の思い出を燃やした。切ない炎が全てを燃やし終えた頃、彼は1冊の本と写真をポケットから取り出した。
「それも燃やしちゃうの?」
私が訊くと、彼はゆっくりうなずいてからこう言った。
「一緒に燃やすつもり。けどもし、この本が焼けて灰になっても、こっちの写真が1部でも残っていたら、僕はまた君の処に帰ってくるよ」
その結果を私が知ることは無かった。その後すぐに火の始末をして彼は家に戻り、翌日にはもうその姿は見えなかったのだから。
「この写真……残ったの?」
落ちた写真を拾い上げて、彼に訊ねる。すると彼は、横に首を振った。
「どうして? 燃やすつもりだったのでしょう? 本は実際焦げてるのに」
「燃やせなかった」
まくし立てる私を落ち着かせるように、穏やかに彼は言葉を遮った。
「本も、表面を焦がしてすぐ火を消したんだよ」
「どうして……?」
「本当に燃やせなかったんだよ。美紗、この本が何だか解らない?」
逆に問われて、どきっとする。手にある本のページをめくり、声を上げた。
「これ……!」
「そう。美紗が好きだった本だよ。だから燃やせなかった」
彼もアスファルトに膝をついて、私と目線を合わせて言った。
「美紗が好き」
「!」
「この数年間、離れていてごめんね。だけどもう、僕はあの時の僕じゃないから戻ってこれたよ。これからは一緒に居られる」
驚いて言葉が見つからない私をそっと立たせて、彼も立ち上がる。目線の先には彼の青いシャツの襟元があった。
「身長、抜かれちゃったのね」
ぽつりとつぶやいて見上げた私の声に、彼は声を立てて笑った。
「告白の返事がそれ?」
抜かれた身長分、彼は大変な思いをしてきたのだろうか。
私がもう少し彼を解ってあげていられたら、彼はこの街を離れずに済んだのではないだろうか。
あの思い出は彼の中に焼きついたように残っているのだろうか。
そのことで苦しむことはなかったのだろうか。
訊きたいこともあったけど、今は全部飲み込んで私は微笑んだ。
「海里、好きよ」
でも、微笑みの裏に押し寄せるたくさんの切なさに、自分の未熟さに、彼の心に、私は涙を堪えることはできなかった。
海里は私の手を取って、歩き出した。
行き先はきっと、あの公園――。
あとがき
あーうー。(謎)
何か書き足したかったんだけど思い出せなーーーーーーーーい!!!ていう作者としてはすっきりしない作品になってしまいましたが、みなさんはいかがでした?
話の結びは割とうまくまとめられた気がしますが。
しかし改めて思う。擬音語使わずに表現するのは難しいね!
まぁ「擬音語使用=文の奥行きが減る」というおかしな考えの持ち主デスカラ!!
ひとまずハッピーエンドでよかった。というか、良く考えたら主人公2名に名前ある作品って、ショートストーリーじゃ初めてなんじゃ…(汗)
ま、まぁいっか。