始まりの並木道
半年前の初夏の残像が脳裏を掠める。
まだ新緑の葉の輝きがまぶしかったこの桜並木の中央。この場所で、僕らは出会った。
出会って、恋に落ち、溺れた。彼女はそんな僕をどう思っていたのかすら考える余裕もなかった。
無防備すぎるほど彼女の心を求め続け、ある日それは両刃の剣と化した。
一番守らなければならなかったはずの彼女の心を、その剣で切り裂いてしまった。
どうにも言えない、言い訳すらない。
そして、今日。
彼女に別れを告げた。自分に出来る償いはそれしかないと思ったから。
彼女は何も言わなかった。まるで口が利けなくなってしまったかのように黙っていた。しかし、数分後に一言「そう」とだけ言って、突然踵を返して走り出した。
しばらく状況が掴めず、その場に呆然と立ち尽くしてしまった。
追いかけて良いものなのか。いや、別れを告げた男が追うか普通。了承して泣く前に走り去ったのか。それにしてはアッサリしすぎではないのか。
そんな自問自答の混乱のなか、わずかに茶色の葉が残る木の枝の隙間から見えるどんよりとした空を見上げ、ため息を吐き出した。
思い切りそうした後で、今度は深呼吸する。のどを通る空気が冷たい。もうすぐ冬がやってくる気配を感じながら、歩き出した。
きっとここで彼女とは終わりだろうな。ぼんやりと浮かんだ考えに、急に鼻の奥が突付かれた。
彼女をたくさん見てきたはずなのに、はっきり思い出せない。
笑い顔も怒り顔も泣き顔も。どれも霞んでしまっている。
唯一鮮明に思い出せるのは、さっきの彼女の走り去るうしろ姿だけ。
ロングの茶色がかった髪が乱れたり黒のジャケットが脱げそうになっているのも構わずに走り去っていく、あの姿だけ。
いつの間にか、頬を伝い落ちるものがあった。
「馬鹿だなぁ、俺」
呟いて涙をぬぐい、ふと顔を上げる。
彼女の足音とそっくりな音が近づいて来ていた。
足の速度を落として、足音によく耳を澄ます。
聞けば聞くほど、彼女にそっくりな足音だ。足を止めると、足音も止んだ。
ゆっくり振り向いて、目がおかしくなったのかと思った。そこには、走り去ったはずの彼女が居た。
片手にビニール袋を持っている。
彼女はそれから何かを取り出し、パッケージを勢い良く剥ぎ取り、袋に押し込んだ。彼女の手に残ったものを認識して、思わず息を呑んだ。
ハサミだ。
僕があ然として見ていると、袋を腕に絡ませた彼女は自分の後ろ髪を持ち、ハサミをぱっくりと開いた。
「! 待っ……」
彼女がやろうとしていることを止めようとして口を開くと同時に、彼女は実行した。
後ろ髪を持った手から、つながっていたはずのそれは、さらりと地面に落ちた。
「……何やってんだよっ」
答えずに彼女は黙々と自分の髪を切り続けた。そうして一通り切ったあとで、ハサミの柄を僕の方に向けて突き出した。
訳が解らないままその柄を持つと、彼女は手を離してようやく話し出した。
「逃げないで」
透き通った声だった。
「お互い傷ついたことも、貴方がそれで後悔してることも解ってる。でも、その傷から逃げないで。受け止めてあげよう? 私たち、きっと傷つくことが必要だったのよ。だって、貴方がこんなに必要だなんて、前の私じゃ解らなかったもの。貴方も同じじゃないの? 本当は別れたくないんでしょ?」
いつからか、視界が歪みだしていた。彼女は穏やかに微笑んで、僕を抱きしめた。
「髪を切ったのはあの時どれだけ傷ついたかじゃないの。さっき貴方が別れを言ったことでどれだけ傷ついたかってことよ。だって私は、貴方とまだ一緒に居たいの。どんなに傷ついても、どれだけ泣いたって構わないの。貴方と一緒に居たいの」
受け取ったハサミが滑り落ち、そのまま僕は彼女を抱き返した。
涙が止まらなかった。自分の腕の中にある温もりは、彼女の強さかもしれない。
僕も強くなろう。何度傷ついても、彼女と一緒に居たいから。
彼女の居ない日々なんて考えられないから。
風が葉を揺り落としながら、音を立てて過ぎていく。
舞い落ちてくる木の葉の中で、僕らの温かい冬が始まる。
あとがき
前回があまりにも惨い終わり方だったのでハッピーエンドになんとかこじつけました(こじつけかよ!)
もう少し弄れそうなので、弄ったらアップしなおすかも。
なんか、作り初めのときは男性しか登場しない暗い話になってましたね。別れたことをうじうじ悩む、みたいな。
でも、それだとマジ暗くなりそうなんで、彼女にかっ飛ばしてもらおうと。(安易な)
彼女はこのサイトではあり得ないくらい飛んでますね。考え方自体は飛んでないと思うんですが、すっごい行動派だなと。作者自身驚いてます(汗)
まぁそんな作者ですが、次回作をお待ち頂けると嬉しい限りです。ここまで読んでくださってありがとうございました。